数え年・享年・行年について
- 2010.05.19
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お墓に、亡くなった人の年齢を刻むときに満年齢ではなく、数え年で彫刻するのは、なぜでしょうね?
近年、数え年はあまり使われなくなりましたが、厄年の数え方や賀寿の祝いには今でも使用されています。 古来より年齢は、享年○○歳とか、行年○○歳と「数え年」で刻んでいました。
≪享年(きょうねん)、行年(ぎょうねん)とは、亡くなった時の年齢でこの世で受けた年という意味≫
例えば、1歳に満たない子供が亡くなった場合に0(ゼロ)歳と刻むわけにはいきませんよね。
母親のお腹の中で十月十日過ごし、この世に生を受けたという事で1歳とするのです。
長生きできる事、すなわち少しでも長生きしたいのは大方の願望であり、
長寿はおめでたい事なわけですから、古来から少しでも多く数える「数え年」が使われているのも、そういうわけなのでしょうね。
生誕日を1歳とし。
毎年1月1日に1歳ずつ歳を重ねて行く数え方が「数え歳」ですから、12月31日に生まれた人は、
翌日の1月1日には数え年2歳となるわけです。
現在の日本では太陽暦を用いており、和暦と西暦の日付は一致するので、
自分の今年の「数え年」は、元日から誕生日前日午後12時までは「満年齢+2歳」、
それ以降は「満年齢+1歳」で計算します。
新年(正月)が来るたびに、1歳加算するわけですから、誕生日が来ていない人でも誕生日が来たものとして満年齢に1歳加算して下さい。
未来にも「数え歳」が残っていればいいのですが子孫が、我家の先祖は、一体何歳で亡くなったんだろう?、、、となるかもしれません。これからは全て「満年齢」で表した方が、子子孫孫にも分かりやすいのではないでしょうか。すでに「満年齢」で墓石や過去帳に記載される方も多くおられます。
皆さんは、如何でしょう!
≪生まれた時は0歳で、翌年の誕生日前日午後12時に1歳年齢を加えていく数え方を「満年齢」といいます≫
干支について
- 2010.05.18
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◆十干と十二支とあわせて 「干支(えと)」という。
十干の右端の数字は、西暦の下一桁の数字を表します。
例えば、
2010年は、下一桁が「0」です。
十干は、「庚(かのえ)」となります。
十二支は、「寅(とら)」の年ですから、2010年は、「庚寅(かのえとら)」の年となります。
◆還暦の説明図
下図の例は、私にあてはめました。
このように還暦とは、生まれた時の干支(十干と十二支)が再び巡り会うのには、60年の歳月が掛かるため、再び生まれ変わったという目出たさを象徴する儀式で、再び生まれた(赤ちゃんに帰った)という事と目出度さや厄除けの意味で「赤い物」を身に着けてお祝いをする儀式なのです。
四苦八苦(しくはっく)について
- 2010.02.25
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仕事が思うように行かなくて「四苦八苦」している(私の事かな?)とか、受験勉強に「四苦八苦」している。など、気軽に使われている「四苦八苦」という言葉がありますね。実はこの言葉は仏教から出た言葉なのです。
四苦八苦とは「四苦(しく=1.生、2.老、3.病、4.死=しょう・ろう・びょう・し)の四つと、5.愛別離苦(あいべつりく)、6.怨憎会苦(おんぞうえく)、7.求不得苦(ぐふとっく)、8.五陰盛苦(ごおんじょうく)の四つを合わせて四苦八苦と言っているのです。では、四苦八苦のそれぞれの意味は何でしょう!
四苦(しく:生老病死=しょう・ろう・びょう・し)は、生きているというだけで必然的に味わう四つの苦しみを表します。
- 1.生苦(しょうく)⇒
- 生まれる苦しみ。
- 2.老苦(ろうく)⇒
- 老いる苦しみ。
- 3.病苦(びょうく)⇒
- 病気になる苦しみ。
- 4.死苦(しく)⇒
- 死ぬ苦しみ。
※1~4はお釈迦様の伝記で「四門出遊(しもんしゅつゆう)※(注)」として伝えられています。
そしてあと四つの苦しみは
- 5.愛別離苦(あいべつりく)⇒
- 愛する者との別れる苦しみ。
- 6.怨憎会苦(おんぞうえく)⇒
- 嫌な者に付き合わなければならない苦しみ。
- 7.求不得苦(ぐぶとっく)⇒
- 欲しいものが手に入らない苦しみ。
- 8.五蘊盛苦(ごおんじょうく)⇒
- 心身が盛んで、しかもバラバラである苦しみ
(色・受・想・行・識の五蘊心身の苦しみ)。
※8.五蘊盛苦の説明
- 「色(し き)=感覚作用」
- 六根(ろっこん)の事で、感覚や意識をつかさどる六つの器官とその能力で、六根清浄(ろっこんしょうじょう)とはこの器官を清める事を言う。
- 「受(じ ゅ)=感受作用」
- 事象を受けとめる心の働き。
- 「想(そ う)=想像作用」
- 事象を思い描く心の働きで、想う事、思い描く事。
- 「行(ぎょう)=意思作用」
- 心の意志的働きで、過去世の煩悩で作られた一切の行為。
- 「識(し き)=認識作用」
- 対象を識別、認識する意識・判断する心の働き。
※(注)四門出遊 お釈迦様の伝記の中で非常に有名な『四門出遊』の話をご紹介します。
- 【東門】
- ある日、カビラの城で過ごしていた若き王子ゴータマ・シッダルダ(出家前の釈迦)は従者をともなってお城の「東の門」から出かけました。すると路上で、やせ細り腰は曲がり、杖をつきながら、よろよろと歩いている老人を見かけました。
「あれは何か?」と彼は従者にたずねました。従者は答えました。
「老人でございます」
「老人とは何か?」
「はい、誰でも年を経るとあのような姿の老人になります」
「私も、お前も、あのような老人になるのか?」
「はい、さようでございます」
「この私もやがては老人というものになるのか?」
「はい、さようでございます」
それを聞いて王子は深く物思いに沈み、遊ぶ気持を無くして城へ帰ってしまいました。 - 【南門】
- また、べつの日に今度は「南の門」から出かけたところ、今度は「病人」を見かけ、老人を見た時と同じような問答を従者と交わしました。いつかは自分も病気に掛かりあのように苦しむ時が来ると聞いた王子は、また深く物思いに沈み、遊ぶ気持も失せて城へ帰ってしまいました。
- 【西門】
- また次の機会に「西の門」から出かけた時には、葬送の列にでくわし、また同じような問答をかわしました。やがて自分も死という時が訪れることを知った王子は、前回と同じように深く物思いに沈み、遊ぶ気持も失せて城へ帰ってしまいました。
- 【北門】
- そして「北の門」から出掛けた時に「僧」に出会いました。救い(悟り)の道を求めて修行に励む修行僧の毅然とした姿に心を打たれ、四苦というストレスを解消するために自ら出家し、修行の道に進む動機になったと伝えられています。 四つの門の現象は、いずれも「帝釈天(たいしゃくてん)」や「梵天(ぼんてん)」が、王子シッダルダを悟りや救いの道へ誘い出すために姿を変えたものと言われています。そんな中でシッダルダは17歳の時ヤショーダラと結婚、やがて一子ラーフラが生まれますが、彼の苦悩は続きます、とうとう29歳の時城を出て出家してしまいます。
それにしても、若き王子シッダルダはカビラ城で、なに不自由なく暮らしていたのですから「四門出遊」時に出会った事象は、新しい発見ではありますが、他人事(別世界)だと済ますことも出来たわけですね。それを自分の事と捉え、その「四苦八苦=ストレス」を解消する道を求め栄華の生活を捨て、苦しい修行に出たのは、さすがですね!!
昨今は、他人に責任を被せたり、まるで「他人事(ひとごと)」のような、対応をする責任者が目立ちます(笑)。この「四門出遊」のお話は、人の上に立つ者はどうあるべきかを教えてくれますね。 今回はここまでです。